底辺に流れるもの ジェーン・エア

一見すると様々な恋愛模様を描いているようだが、実はピューリタニズムがテーマである。
主人公のジェーンは不幸と虐待という過酷な運命に晒されながらも、気がふれたり、心根が捻じ曲がったりしなかったのは神を信じていたからではないか。
信じるものは救われる。

神の課する過酷な幾多の試練を乗り越え、真実の愛に目覚めていく物語である。
節目節目に天使が現れジェーンを優しく導く。
ヨブのように神に訴えかけるわけではなく、耐え忍ぶことによって神の慈愛が示される。

子供の頃、孤児となり親戚に引き取られるが、叔母や従兄弟たちや召使いたちにまで
憎まれ、蔑まれ、不当な扱いを受ける箇所は子供の頃に読んだ「にんじん」や「路傍の石」を読んだことを思い出した。

彼らがジェーンを敵視していたのと同じ様に、彼女もまた彼らを憎んでいた。
「汝の敵を愛せ」という言葉の通り、従兄弟たちと和解するが叔母は憎しみを捨て去る事ができずに不幸のまま死んでいく。
従兄弟の中でも長男は堕落したあげく破滅し命を落とす。
また従兄弟の長女は常に神の声を聴こうとし、静かな祈りの中に生きて行くために修道院に入る。

ジェーンに求婚したロチェスター氏は真実を隠し、重婚しようとしたため再び後悔と絶望の淵に立たされる。しかし自分を犠牲にしてまでも狂った妻を救おうとしたことで、天罰は与えられたもののジェーンを得るという再び恩恵をいただいた。

セント・ジョンは使徒たちのように、パウロの伝道のように異邦人の異教徒たちに神の教えを伝えるために、神に殉じる神の戦士としての生き方を選択した。
自己を厳しく抑制し、他人にも同じ神の僕としての義務を全うするよう要求する。

ジェーンは神の導きにより片輪となったロチェスター氏と生涯を共にすることを選択する。あたかもイエス・キリスト癩病患者と一緒に食事をし、病を癒したように。

まだキリスト教の理解が足りないが、作者はクリスチャンとしての生き方には様々な道がある。
神に奉仕し、神との対話の中に身を置く生き方。
神の教えを広く伝え、私心を捨て、神に殉じる生き方。
でもそんなピューリタニズムな生き方は神が希給うことなんだろうか。
神の子であるイエス・キリストが伝えた神の意思は「愛」に生きること、
隣人を愛し、敵でさえも愛するそんな生き方ではないかと作者は言いたかったように思う。